こんにちは、りいさよです。
この問いを、
最近よく目にするようになりました。
ニュースでも、SNSでも、日常の会話の中でも、
まるで前提として
共有されているかのように扱われています。
ただ、
この問いが生まれてくる背景を
少し眺めてみると、
いくつかの前提条件が、
ほとんど意識されないまま
置かれているようにも見えます。
AIがすでに担い始めている領域
文章の生成、画像の作成、
要約、問い合わせ対応。
こうした作業は、
実際にAIがかなりの割合を担い始めています。
「もう人がやらなくてもいいのではないか」
そう感じる場面が増えているのも、
観測としては自然です。
ここで多くの場合、
仕事=作業の集合
という見方が、
無意識のうちに採用されています。
作業が代替される。
だから仕事がなくなる。
話は、そのまま一直線につながっていきます。
仕事は本当に「作業」だけでできているのでしょうか
現場をもう少し近くで見てみると、
作業そのものよりも、
別の層が浮かび上がってきます。
・どの情報を使うかを決める
・どこまでやるかを引き受ける
・その判断に名前を出す
こうした部分は、
単純な作業として切り出しにくい領域です。
AIが入り込めているのは、
すでに判断が固まっている場所や、
前提が共有されている範囲に
限られていることが多いように見えます。
前提が揺れている場所では、
AIは途端に立ち止まります。
「奪われる」という言葉が生まれる位置
仕事を奪われる、という言葉には、
ある距離感が含まれています。
それは、
自分がどこに立っているのかを確認する前に、
結果だけを見てしまう位置です。
AIが増えているのは事実です。
できることが広がっているのも事実です。
ただ同時に、
「自分は何を引き受けているのか」
「どの前提で判断しているのか」
そこが言語化されないまま、
不安だけが先に膨らんでいるようにも見えます。
仕事の輪郭が変わっているという観測
仕事がなくなる、というよりも、
仕事だと思っていたものの輪郭が、
静かに変わり始めているように見えます。
同じ現象を見ていても、
立っている位置によって、
奪われたようにも、
更新されたようにも見えます。
二択で結論が出る話ではなく、
どの距離から見ているのかによって、
問いそのものの意味が変わってしまう。
今起きているのは、
そのズレが、
表に出てきただけなのかもしれません。
