「正解がある世界」で長く生きてきた人に話を聞くと、
共通して出てくる言葉があります。
「いろいろ調べた結果、これが一番いいと思いました」
その判断は、
比較、ランキング、口コミ、専門家の意見など、
複数の外部情報を通過したあとに出てきています。
一つの情報だけで決めた、というより、
「調べた」という行為そのものが前提になっているように見えます。
そこでは、
自分の内側にある感覚よりも、
外にある情報をどれだけ集めたかが、判断の根拠になっています。
「これが正解だと思う」という言葉の中には、
「自分で決めた」という感触と、
「外で確認した」という手続きが重なって存在しています。
その結果、
判断は自分が下しているようで、
同時に、外に預けられている状態にも見えます。
選択の責任が曖昧になる場面も、
自然に生まれています。
もし結果がうまくいかなかった場合、
「ちゃんと調べたのに」という言葉が残ります。
そこでは、
判断そのものよりも、
調べた過程が評価の軸になっています。
「正解がある世界」では、
判断の基準は常に外に存在し、
個人はそれを参照し続ける位置に立っています。
その構造の中で、
自分の判断と、外部の判断は、
きれいに分かれてはいません。
多くの人が見落としやすいのは、
判断をしているつもりで、
判断の場所そのものが外に設定されている点です。
その状態は、
不安定であると同時に、
とても静かでもあります。
