ある人が、自分の状況についていくつかの言葉を並べていました。
情報にぶれたくないこと。
お金に強い執着はないこと。
病気のため、今は仕事ができていないこと。
そのため、制度としてNISAを使っていること。
そして、今を大事にしたいという感覚。
それぞれは、理由を説明するために語られたものではなく、
現状をそのまま置くように出てきた言葉でした。
そこでは、価値観と状態が分けられていませんでした。
考え方と身体の条件、
意図と制度、
姿勢と制限が、同じ平面に並んでいました。
繰り返し見られる構造として、
「大切にしたいもの」と「選ばれている行動」が、
必ずしも一致していない状態があります。
今を大事にしたいと言いながら、
将来に関わる制度が視野に入っている。
お金に執着はないとしながら、
お金を扱う仕組みが生活の中に置かれている。
見落とされやすいのは、
どちらかが本音で、どちらかが建前、
という整理が行われていない点です。
整理されていないまま、両方が存在しています。
この状態では、
お金が大事なのか、今が大事なのか、
答えはまだ定まっていません。
定まっていないこと自体が、
現在の配置として続いています。
選択は行われていますが、
意味づけは確定していません。
今も、将来も、
どちらかに重心を置き切らないまま、
時間が進んでいます。
そこには、迷いを解消しようとする動きも、
結論を出そうとする視線も置かれていません。
ただ、そういう状態が観測されています。
